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ゲイによる雑記

保毛尾田保毛男問題から見るちえみ

 それまで保毛尾田保毛男を知らなかった若年層としては、「ふーん、そういうのがあったのね」と思う程度であり、正直なところここまで紛糾しているのは意外であった。たしかに同性愛者のステレオタイプ(といっても、一昔前のもののように思えるが)で笑いを取ることは、結果として多くの同性愛者に生きづらさを感じさせていたのだろう。(ちなみに個人的な話としては、「同性愛者を差別・嘲笑の対象とするのはよくない」という倫理観が形成されつつある時代に思春期を過ごしていたので、それほどこの種の問題に悩まされることはなかった。「ゲイだ」的いじり方をされている人がいなかったわけではないが、それは保毛尾田保毛男時代の人が経験したであろう攻撃的・排他的な種のものではなく、仲間内でのからかいであったように思われる。もちろん、当人がどう受け止めていたのかは別の話だが)

 しかし何よりこの一件で沸き起こったのは、「ブルゾンちえみ、よい!」というある種の感慨であった。

 ちえみは(敢えてちえみと書こう)「キャリアウーマン」のステレオタイプで笑いを取っている。決して特別美人でもスタイルがいいわけでもない彼女が、「バリキャリ」を演じつつ、高スペック男性を2人従えて「男なんて35億人いるのよ!あと5000万人もいるじゃない」と豪語する。たぶん一昔前の女性芸人であったら、「身の丈に合わないことを言っている私」を嗤わせることで、笑いを取っていたのではないだろうか。

 だが、ちえみは違う。我々がちえみを見て笑うとき、笑っているのは「本来そんなことを豪語できるはずのない女が、盲目的に『私なら男なんていくらでも捕まえられる』と豪語している様」ではない。我々が笑っているのは、あの訳の分からない「キャリア」と「ウーマン」の間であったり、何のために居るのかわからないwithBの2人であったり、あるいは35億(そして残りは5000万人!)という意味のわからないスケールのデカさ、そして全力で自分を肯定するポジティブなエネルギーなのだ。

 つまり、キャリアウーマンに扮した彼女は、決して「キャリアウーマン」という人々を、そして彼女自身を貶めることなく笑いを取っている。なんて品の良いことだろう。ちえみを初めて見たとき、正直言って他の芸人を見るときのように爆笑はしなかった。だが、なんだか面白い。じわじわ来て、もう一度見たくなってしまう。その秘密は誰のことも攻撃しない、ポジティブなパワーに溢れた姿にあるのかもしれない。そこには新しい笑いの兆しがあるようだ。

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 ほんっとうに書くまでもないことですけど、ちえみ氏を見て嘲笑による笑いを感じないのは個人の感想ですので、「私は違う」的なことは胸にしまっておいてください。

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 保毛尾田保毛男問題に係る一件として、ウーマンラッシュアワー村本氏と駒崎氏が議論しているらしいことを知った。どちらに特別賛同するというわけでもないので各々の主張は差し置くにしても、村本氏が「保毛尾田保毛男問題を問題と思っていないゲイもいることを取り上げろ」という旨をツイートをしていたのには度肝を抜かれた。当事者の中にAという人もいればBという人もいるのは当たり前のことで、そのすべてを取り上げていては議論なんてしようがない。随分と幼稚な反論の仕方であると思うし、おそらく本人がそれに気づいていないのは気の毒にすら思える。彼は炎上を売りにしているそうなので好都合なのだろうが、著名人がSNSで発信するのも考えもの、というか管理する事務所は大変だろうなと思った。