Xylifive

ゲイによる雑記

9.15

■戦線離脱

 幸福の総量は決まっていて、牌を奪い合っている。誰かの豊かさは自分の貧しさの上に成り立っている。

 そんな発想に基づくあれこれを見るたびにウッとなって、自分はそういう競争から離れていたいと思う。上野千鶴子が共に貧しくと書いて大炎上していたが、現実に則しているかはさておくとしても、その発想は分からないでもなかった。隣の芝生を羨んでばかりだが、身の丈を理解し、足ることを知りたい。とはいえ欲が原動力になることも事実で、その点で言うと自分には積極性が足りない。バランスがむつかしい。

 

■車内マナーの向上にご協力ください

 中学生の頃から電車通学だったので人生の半分以上は優に公共交通機関とお付き合いしているのだが、ここ数年マナー向上を呼びかける放送が増えたように感じている。「混み合いました車内では鞄を前に持つなど、他のお客様の御迷惑にならないように・・・」、「駆け込みますと危険なだけでなく、電車が遅れるなど他のお客様の御迷惑になりますのでおやめください」等々。ひょっとしたら増えているわけではなく、音楽を聞きながら電車に乗らなくなったために、車内放送が耳に入るようになっただけなのかもしれないが。昔習った漢文に――人生で人とすれ違うたびに道を譲っても、百歩ぐらい横にずれるだけだ――というようなものがあったと記憶しているが、人様にかけられる御迷惑に寛容でありたいと思う。と言いつつ降車を優先しない人にぶつかっていくのだが。

 

■原因と結果

 北朝鮮がミサイルを打ってきた。上空を通過した地域の方々には大変申し訳ないが、あまり現実味がない。

 ミサイルも地震も自分にはどうしようもないことなので、それによって引き起こされる諸々を想定しても、なるようにしかならないと思ってしまう。これはまだそうした危機に直面したことがないからこそ抱ける楽観なのであろう。しかしまあ、須らく暴力というのはそうで、たとえば被害者も含めた我々は犯人の動機や加害に至るあれこれを知りたがるけれど、結果だけ見れば突然降り掛かってくる災害とそう変わらないのではないか。そういう意味では物事を絶対に因果にもとづき理解しようとする性質はふしぎである。生まれてすぐ、赤ちゃんを一切の因果が存在しないような環境で育てていったら、大人になったとき世界をどう理解するのだろう。