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 3年前に新宿伊勢丹サロン・デュ・ショコラへ行った自分はもういない。当時、実際にチョコレートが好きだったのか、それとも「甘いものが好きな自分」の像を確たるものにするつもりで行ったのかは定かでない。

 1年前にクリニークのスキンケアを揃えた自分ももういない。100mlの化粧水を使い切らないうちに、朝晩時間を取られることが面倒になってしまった。今もまだ容器の底の方に少しだけ、粘土の高い液体が入っている。

 「本当に好きなのか?」と問い続けていたら好きなものがなくなってしまった。必ずしも必要でないものを削ぎ落としたら、最低限のものすら残らなくなってしまったようだ。今のお金の使い道は食費ぐらいのもの、それとて使わずに過ごしてしまうこともある。目指していたわけではないが、ミニマリストの成れの果てか。少し虚しい。

 最近また化粧水が欲しいような気がしている。「まあ無くてもいいしなあ」と冷静な自分を封じ込めなければならず、たいした買い物でもないのにまだ踏み切れていない。不要なものがあることに抵抗を感じる。浮かび上がってきた気持ちを疑わず、赴くままであることも健康には必要なのだろう。化粧水を買えたら、さしあたって何件か行きたいケーキ屋があるので、足を運んでみようと思う。

 読みたい本がいくつかあるのだが、どれも単行本のままなので買えずにいる。値段の問題もさることながら、場所の問題が大きい。本棚はとうにいっぱいで、背表紙がこちらを向いているような整然さは皆無だ。買い足すたびに、無理やり隙間を作って詰め込んでいる。

 「初めから文庫で発売してくれたら」と思いつつ、装丁に携わる人の生活に思いを馳せてみたり、出版業界の利益を心配してみたりする。時間経過とともに文庫の値段が下がっていくようにしてはどうか。1000円ぐらいからはじめて。でも値下がりを待ってしまって自分は買いそうにない。やはりだめそうだ。云々(でんでん)。

 頭にあることを言葉にする作業を怠っていた結果、人にうまく伝えられないことが増えてしまった。言葉を端折ってしまったり、頭の中ですら言語化できていなかったり、それは時々によるのだが。とかくイメージで認識し、イメージで語りたがる。あんな感じこんな感じ。ときには擬音語を使い、そして伝わらない。

 ブログに書き出す作業はリハビリになるかもしれないと期待している。