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人はなぜ人を殺したのか/舟越美夏

人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派、語る

人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派、語る

 

 共同通信社の記者によるポル・ポト派幹部へのインタビューをまとめた作品。

 「なぜ」という問いへの答えを求めて読むのであれば、この本は期待外れのものになるだろう。幹部たちは虐殺の責任を逃れようとし、正当化する者さえいる。

 いかなる答えが示されたとしても、おそらく読者は納得すまい。ある幹部はポル・ポト派の責任を認めつつも、当時カンボジアが置かれていた状況も一因であったと語った。その言葉は自己弁護の意図から発せられたものであるにせよ、きっと一つの真実を含むものである。しかし、たぶん多くの読者にとって、それは責任逃れにしか映らない。

 著者は「なぜ」への答えが無意味であることについて、あるいは答えようがないことについて、極めて自覚的であるように思われた。最後から2つ目の章では、かつての幹部らの様子が語られる。そこに描かれているのは、我々と同じように料理を「おいしいねえ」と褒め、子どもたちの面倒をよく見る男たちの姿であった。この章の題は『穏やかなあの人たち』である。

 最後の章『人は誰でも残虐さを秘めている』は、著者の同僚であるチャン・クリスナーについてのものだ。かつて首相を務めた祖父と軍人の父を持つ彼は、祖父や父が左派に加えてきた弾圧を目にしてきた。彼の家族は、左派であるポル・ポト派によって殺されている。加害者の側にも被害者の側にも立った彼は、著者に同行する中で、幹部の一人、ヌオン・チアと交流を深めていった。あるときには「刺したくなった」と語りながらも、彼はヌオン・チアやその家族の健康を気遣い、カンボジア政府との仲立ちをする。そして、ついにヌオン・チアは、拘置所へ面会に来た妻に「たまには友達と踊りにでも行って、人生を楽しんでほしい」と、かつて憎んだ資本主義の娯楽を勧めるのであった。

 「なぜ」と問う裏には、「自分たちには分からない、想像もつかない」という前提があるように思われる。しかし、主義主張の違う、または既存の法・倫理から逸脱した“彼ら”と“我々”は、いったいどれほど違う人間なのか。単なるポル・ポト派幹部へのインタビューにとどまらない、普遍的な問いを投げかける作品であった。